2004年09月09日

ラフカディオ・ハーン没後100年─異質さで得た幸運と不満

ラフカディオ・ハーンが没して、この9月でちょうど100年が経つ。没後1世紀が経過した今も、ハーンは日本人に愛され、尊敬され、研究されている。しかし、西洋ではその名はほとんど知られていない。わたしは1967年に初めて日本を訪れたが、それまでラフカディオ・ハーンの名前は一度も聞いたことがなかった。

ハーンは1890年に日本にたどり着いて、以後14年間で日本に関する本を11冊書き上げた。日本の奥義や神秘や下位文化(サブカルチャー)へと、ハーンは自然に流れていった。それらを称賛に値する、日本の文化を代表するものとして紹介し続けた。


●日本の近代化に反対

生前のハーンは、日本国内では作家として認知されることはなかったが、西洋ではその日本についての記事が一時期評判になった。しかし、日本が帝国化を強く推し進める流れのなかで、まるでそれに背を向けるかのように理想や極上の美しさや精神的なものばかりを追い求めるハーンの姿勢と考え方に、西洋の読者も徐々に矛盾を感じ始めた。一方、日本人は、自分たちが世界の舞台で新しい役割を演じる上で、何か精神的支えのようなものがほしい、という思いを抱きつつあった。西洋人に疑問視されようとも、日本人はそうした精神的支柱を確かに求めていたわけで、その役を担ってくれるのは、すでに日本について英語で文章を書いているこのラフカディオ・ハーン以外に、一体誰がいたというのだろう?

ハーンは日本を非常に好意的に書いている。特に日本人の習慣や地方の風景や昔話に出てくる不可思議な出来事については、ほとんそ興奮状態で一心不乱に書き綴っている。しかし、同時代の日本を描くときは、基本的にその近代化に反対する。新しい日本にどこか居心地の悪さを感じていたのだろう。「西洋社会の考えに従って国家の近代化を推し進めれば、家族を崩壊させ、社会構造を完全に分離し、さらには倫理制度そのものまで壊滅させてしまうことにもなりかねない。すなわち、国民の生活を完全に打ち壊してしまうのだ」と『日本─一つの試論』にも書いている。

ラフカディオ・ハーンは自分が帰化した日本に徐々に幻滅を抱き始めた。「新時代の」日本人男性は決して好きにはなれなかったし、彼らは退廃的な西洋のやり方を模倣するだけの傲慢なやつらであるとみなした。そして「新時代の日本」で自分がどんな扱いを受けようが、常に不機嫌な態度を示した。ハーンが1903年の4月にロンドン日本協会の創設者アーサー・ダイオシ(Arthur Diosy)に宛てた手紙が最近(1998年)発見されたが、そこにはこんなことが書かれている。「わたしの本のほとんどが大変不利な状況で書かれたものであることは、きっとダイオシ様にはおわかりにならないと思います。わたしは誰にも助けてもらうことなく、ほとんど一人でできる限りのことをしていますし、西洋の文学者はわたしが書いたものを評価してくれます。しかし、日本では完全に無視されます」

ハーンは1903年3月に東京帝国大学講師を解雇されて同大学を退職し、4月に早稲田大学文学部の講師に就任する。しかし、公共制度や社会構造の近代化を推し進める周りの日本人には決して打ち解けることができなかった。


●「親日家」との違いは

ラフカディオ・ハーンは、何のルーツも持たない男だった。ハーンをギリシャ系、アイルランド系の作家として研究するのはまったく意味のないことだし、その存在の重要性をただ歪めるだけである。ハーンは日本を愛していたが、いわゆる親日家ではなかった。親日家というのは、日本人と理想や渇望を分かち合える者だと思う。ハーンの「日本」はハーンだけのものであって、かなり異質だった。

ハーンは日本の民話や昔話を集めて、それが日本の理想だと思い込もうとした。人々が何を渇望しようとも、それがハーンの考える日本の理想と一致しなければ、彼らは間違った方向に導かれている、と考えていたように思う。

ラフカディオ・ハーンは、社会から完全に孤立したアウトサイダーであったが、ついにこの日本で自分の故郷を見つけた。しかし、ハーンは決して一つのところには落ち着けない人間だったし、あまりに陰気で、個人的妄想から抜け出せず、常に周囲や時代に不満を抱いていた。だから自分がこの国で一体どんな幸運を手にしたのか、まるで理解できなかった。ハーンは日本で教師の職を得た。それは明治の時代に人々に尊敬されてやまない職業だった。ハーンはほかの国では決して人間として尊敬されることはなかった。

ハーンがもっと長生きしていれば、自分が小泉八雲として神話的な人物に昇りつめるのを、その目で確認できただろう。古い日本を再生しつつ、それをずっと守りつづけた人物として崇め奉られるのを、その肌で感じることができただろう。

─ロジャー・パルバース(作家)/訳・上杉隼人
(朝日新聞 9/8)
posted by schazzie at 01:24| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(3) | 学問 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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