2009年12月28日

コーマック・マッカーシーの本!

ブラッド・メリディアンブラッド・メリディアン
(2009/12/18)
コーマック・マッカーシー

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<内容紹介>

ノーベル文学賞最有力候補の代表作が待望の邦訳。

少年は、十四歳で家出し、物乞いや盗みで生計を立て各地を放浪していた。時はアメリカ開拓時代。あらゆる人種と言語が入り乱れ、荒野は暴力と野蛮と堕落に支配されていた。行くあてのない旅の末、少年は、以前より見知っていた「判事」と呼ばれる二メートル超の巨漢の誘いで、グラントン大尉率いるインディアン討伐隊に加わった。哲学、科学、外国語に精通する一方で、何の躊躇もなく罪なき人々を殺していくこの奇怪な判事との再会により、少年の運命は残酷の極みに呑み込まれるのだった――。

《ニューヨーク・タイムズ》紙上で、著名作家の投票によるベスト・アメリカン・ノヴェルズ(2006-1981)に選出。少年と不法戦士たちの旅路を冷徹な筆致で綴る、巨匠の代表作。


<著者について>

1933年、ロードアイランド生まれ。トマス・ピンチョン、ドン・デリーロ、フィリップ・ロスと並び称される現代アメリカ文学の巨匠。

大学を中退すると、1953年に空軍に入隊し四年間の従軍を経験。その後作家に転じ着々と評価を高め、〈国境三部作〉の第一作となる第六長篇『すべての美しい馬』(1992)(ハヤカワepi文庫)で全米図書賞、全米批評家協会賞をダブル受賞。第九長篇『血と暴力の国』(2005)は、2007年度アカデミー賞最優秀作品賞を受賞した映画《ノーカントリー》の原作となった。その後、2006年発表の『ザ・ロード』(早川書房刊)は、200万部超のベストセラーを記録し、ピュリッツァー賞を受賞。著者の名声を不動のものとした。

1985年発表の本書は、2006年に《ニューヨーク・タイムズ》紙上で著名作家他の投票による過去四半世紀のベスト・アメリカン・ノベヴェルズの一冊に、《タイムズ》誌による1923-2006年ベスト英語小説100の一冊にもそれぞれ選出された名実ともに著者の代表作である。



やった〜!
コーマック・マッカーシーの『ブラッド・メリディアン』が、遂に黒原敏行さんの翻訳で出版されました!

しかし、これは新作ではありません。マッカーシーの作品は<国境三部作>の他は全く翻訳されていなかったのですが、これはそのうちの一冊。『血と暴力の国』や『ザ・ロード』で話題になり、やっと日の目を見たわけです。原書で読むつもりで購入してあったのですが、この頃のマッカーシーの作品にはスペイン語が混じっており、生半可では読めない本ばかりだったのです。だから、翻訳を待ちわびていました。

マッカーシーという作家自体、これほど話題になるとは思っていなかったので、翻訳は夢のまた夢かと思っていましたが、それが、これもまた大好きな翻訳家である黒原さんの翻訳で出るとなったら、これはもう買うしかないでしょう。『ザ・ロード』も、ヴィゴ・モーテンセンが主役で映画化され、もうすぐ日本でも公開されるでしょうから、マッカーシー本、是非読んでみて欲しい1冊です。

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2006年05月16日

ニューオリンズという市(まち)

なんといっても、パリはニューオリンズの生みの親だったからね。パリは、いわばニューオリンズに生命をふきこんだんだ。最初に、ニューオリンズに移住したのはパリジャンだった。そんなわけで、ニューオリンズという市は、いつもパリに近づこうと、必死になっているようなところがあるんだ。ニューオリンズというすてきな市は、どうしようもないほど活気に溢れているものの、これまたどうしようもないほど移ろいやすい市だったね。そこには何かしら、どう努めてみても荒けずりな、素朴なところがあった、エキゾチックで洗練された生活を内側からも外側からもおびやかす何かがね。木造の建物が立ちならぶ街並みの一インチ、スペイン風の家屋が集まっているごみごみした界隈の煉瓦の一枚といえども、ニューオリンズを取りかこむ荒々しいアメリカの風土からもってきたものはないといってよい。ハリケーン、洪水、熱病、疫病—そしてルイジアナの風土特有の湿気が、あらゆる木造の建物や石の表面をたゆみなく侵した。ニューオリンズという市は、自然に対抗する人間の空想の産物といった要素をもっていた。粘り強さ、無意識のうちにではあるが、凝りかたまった意志をもってずっと抱きつづけた夢のようなもの、それが、ニューオリンズなんだ。

— アン・ライス 『夜明けのヴァンパイア』 (田村隆一訳)より
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2006年01月22日

『グールド魚類画帖』より

グールド, ウィリアム・ビューロウ
囚人番号873645。別名シド・ハメット、「外科医」、ヨルゲン・ヨルゲンセン、カポア・デス、ポブジョイ、「司令官」。人物の特徴─左胸上に赤い錨と青い翼の入れ墨、彫った文字「Love & Liberty」。1831年2月29日サラ島を逃亡。逃走中に溺死。
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2005年07月19日

教会と売春宿

教会と売春宿は同時に西部にやってきた。この二つが同じものの表裏だと言ったら、どちらからも声高な反論が飛んでくるだろう。だが、やろうとしたことは、結局、同じではないか。それは、人々にしばしの慰めを与えることだ。教会は唱歌と詩と礼拝でそれを行おうとし、売春宿は別の手段を使った。宗教各派は自惚れて自信満々、大声で呼ばわりながら威勢よく乗り込んできた。負債と返済の法則を無視し、百年かかっても返せないような費用を注ぎ込んで教会を建てた。そして悪と戦った─確かに。

だが、同時に他宗派との戦いにも勇み立った。教義の表現をめぐって争い、それぞれに、他宗派はみな地獄行きになる運命だと信じて疑わなかった。だが、威勢のいい自己主張はともかく、各宗派が現実に人々にもたらしたものはまったく同じだ。それは倫理の基盤、芸術と詩歌の基盤、人間関係の基盤としての聖書だった。宗派間の相違など、よほど頭のいい人間でなければわかりはしないが、この共通点は誰の目にも明らかだった。教会は音楽も持ち込んだ。最高の今額とはいえなかったかもしれないが、少なくとも音楽の形式と感覚をもたらした。そして、良心。これは、もたらしたというより、居眠りしかけているのを揺り起こしたというのが正しいかもしれない。さらに、教会自体は純粋さから程遠い存在ながら、純粋さの可能性をもたらしたことを認めてやってもいい。

─(『エデンの東(上)』/ジョン・スタインベック著, 土屋 政雄訳)
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2005年07月18日

拒絶

子供にとって最大の恐怖は、愛されないことでしょう。拒絶されることこそ、子供の恐れる地獄です。しかし、拒絶は、世界中の誰もが多かれ少なかれ経験することでもあります。拒絶は怒りを呼び、怒りは拒絶への報復としての犯罪を呼び、犯罪は罪悪感を生じさせます。これが人類不変の物語でしょう。もし拒絶を無くせば、人間はいまとは違う生き物になれるでしょうね。たぶん、頭が変になる人も少なくなるでしょうし、牢屋もきっとあまりいらなくなります。すべての出発点は、ここ、拒絶です。

─(『エデンの東(上)』/ジョン・スタインベック著, 土屋 政雄訳)
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2005年04月30日

J.R.R.トールキン(1892─1973)

『指輪物語』 は、その存在をふと思い出すたびに思わず頬がゆるむ、そういう類の作品である。このような文学作品はほかにない。比類なきスケールの叙事詩、素晴らしく独創的なファンタジー、そして堂々たる言語の祝祭。ジョン・ロナルド・ルーエル・トールキン(John Ronald Reuel Tolkien)の傑作は、人間の想像力が成し遂げた偉業のひとつである。ほとんどの作家は本を書く。トールキンは一個の世界を作り上げた。

トールキンをけなす人の言い分は─その多くの本当の不満は、要するに彼の本が読み易すぎるということのように思えるが─トールキンは素朴なファンタジー作家にすぎず、ファンタジーというジャンルは子供じみた妄執の安っぽい匂いがするというものである。たしかに、ファンタジーには子供っぽさや逃避的傾向がある。しかし、どんなに高尚で、自覚的に「文学的」な文学でも、みな幾分は、世界から逃れようとする子供の企てにほかならない。そして正しい種類の素朴さは─そして妄執は─天才と区別不可能である。

トールキンは、彼の内に在る物語の神にすっかり身を委ねる。そうして彼が語る物語といったら!純粋な冒険譚として、これに並ぶものはない。これほど望みのない探求右派いかなる文学にも見当たらないし、これほど象徴的・原型的意味の重みを担った叙事詩がかくも詳細に(ほとんど耐え難いほど詳細に)語られたためしもない。指輪の仲間たちが、迷路のように曲がりくねった川や干上がった大峡谷を越えて、モルドール(Mordor)への長い道のりを一歩一歩、疲れた足を引きずって進んでいく。それがまた何という語り口で語られることか!文献学者トールキン、かの埃っぽい学問が文学にもたらしたニーチェ以来最大の贈り物たるこの学者は、とびきり柔軟なスタイルを操って、土地の日常語から荘厳な欽定訳聖書調のリズムまで自在に移行し、大仰さや違和感はいっさい感じさせない。ゴンドール(Gondor)が最後の必死の抵抗を試み、ローハンの騎手たち(the Riders of Rohan)がひづめの音を響かせて平原を駆け抜ける。呪文のような力をとめどなく増していくその完璧な文章を読んで心を躍らせないのは、知識ばかりを振り回す輩だけだろう。

トールキンは絶対善と絶対悪の世界を作り上げ、危機に瀕したその世界の中に、ひよわな凡人とその忠実な従者を配する。すべてを堕落させる「力の指輪」を破壊すべく二人が携わる探求は、キリスト教的な救済の物語であると同時に、ホメロス風・中世風な不屈の勇気のサーガであり、また、これが最も感動的な側面といえるだろうが、望みない悲劇でもある。フロド(Frodo)と仲間たちの勝利は世界を救うが、その救われた世界からは何かが失われている。エルフたちはそこから去っていくし、フロドにしても、受けた傷の深さゆえにこの世界に別れを告げるほかない。この偉大なシンフォニーにおいて最も深く響くのは、喪失の装飾音なのである。

あのトム・ボンバディル(Tom Bombadil)を、エントたち(the Ents)を、アラゴルン(Aragorn)の長い行軍を、灰色港(the Grey Havens)に向かう最後の出発を、誰が忘れられよう?それは一個の宇宙であり、授かり物である。

(以下省略)

─ゲイリー・カミヤ(『サロン・ドット・コム』より)
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2005年03月05日

旧約聖書とは

旧約聖書は、一冊の本ではない。

下記の39書の正典と、外典(続編、カトリックのみ採用)からなっていて、「旧約全書」と考えたほうがよい。


旧約聖書は、歴史的順序で書かれていない。
例えばモーセ五書は、補囚帰還後かなり遅く書かれ、しかも創世記1章「天地創造」は、モーセ五書編集の一番最後に書かれたとも言われている。(別項、旧約聖書成立史表参照)
原典として、BC280年頃エジプトのアレキサンドリアで、70人訳ギリシャ語聖書が成立しているが、ヘブライ語の正典として確立した時期は意外に遅く、西暦90年頃、ローマ軍のエルサレム神殿破壊後のユダヤ人がヤムニの宗教会議で、ユダヤ教再建のため、先ず確立したとされている。


旧約聖書は、キリスト教のみの聖典ではない。(従って旧約という表現は、差別的であるので、ヘブライ語聖書と呼ぶ人もいる。これに対して、ギリシャ語聖書と呼ぶときには、70人訳ギリシャ語旧約、外典や新約聖書を意味することがある)


旧約+タムルードがユダヤ教

旧約+新約がキリスト教

旧約+コーランがイスラム教と考えてよい。


39の正典は、ユダヤ教・キリスト教各教団により異同があるが、ヘブライ語聖書では、下記の四つ(或いは三つ。この場合は、律法―トーラー、預言―ナービーム、諸書―ケスビーム)に分類される。(このほか新共同訳聖書では、続編として外典が集録されている)


●律法の書(モーセ5書)(聖書の基本で、モーセ6書という時にはヨシュア記が入る)
創世記、出エジプト記、レビ記、民数記、申命記。


●前の預言者(歴史書ともいう)
ヨシュア記、士師記、サムエル記・上・下、列王記・上・下。


●後の預言者
イザヤ書、エレミヤ書、エゼキエル書(以上3を大預言書ともいう)
12小預言者―ホセア書、ヨエル書、アモス書、オバデヤ書、ヨナ書、ミカ書、ナホム書、ハバクク書、ゼファニヤ書、ハガイ書、ゼカリヤ書、マラキ書。(ヨナ書は、預言書というより、知恵文学として諸書に属す性質のもの)


●諸書
ルツ記、歴代志上・下、エズラ記、ネヘミヤ記、エステル記、ヨブ記、詩編、箴言、コヘレトの言葉(伝道の書)、雅歌、哀歌、ダニエル書。


●外典(続編)―カトリック教会は第二正典とする
トビト記、ユディト記、エステル記(ギリシャ語)、マカバイ記T、マカバイ記U、知恵の書、シラ 書(集会の書)
バルク書、エレミヤの手紙、ダニエル書補遺(アザルヤの祈り、スザンナ、ベルと龍)、エズラ記(ギリシャ語)、エズラ記(ラテン語)、マナセの祈り。


なお、カトリック教会では、諸書という分類はなく、歴史書にルツ記、歴代志上・下、エズラ記、ネヘミヤ記、エステル記、トビト記、ユディト記、マカバイ記T・Uを加え、預言書にバルク書を加え、ヨブ記、詩篇、箴言、コヘレトの言葉、雅歌、知恵の書、シラ書を教訓書と呼ぶことがある。
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2005年02月27日

本好き

アパート二階の底が抜けたというニュースを見た。底が抜けた原因は、二回の部屋に大量にあった本らしい。

ああ、今、このニュースを見聞きして、私の知り合いのうち、いったい何人が肝を冷やしていることだろう、とまず思った。

私の知人の何人かは、たいそうな量の本を持っている。ひとりの人間の平均所有数はどれほどなのかわからないけれど、明らかに彼らは、持ちすぎている。布団を敷いた長方形以外、本が山積みになっているという人もいる。その人んちを訪れた客は、本のあいだにできた細い獣道を通って布団までいき、布団に座って談笑するらしい。あるいは、布団スペースまで本に占領されて、本でベッドを作った人も知っている。

このうちの何人かは、所有する本が床もしくは階下に及ぼす影響に脅かされて、一軒家とか鉄筋マンションとか一階とかに引っ越している。

そこまではないが私も本が捨てられない。引越しのたび引越し屋が「本が多いっすね」とうんざりした顔で言う。仕事柄、昔の本を読み返したり、引用したりするから捨てられないんだ、とそのたび心のなかで返答するが、それはただのいいわけである。五百冊ぶんの本を内臓できる電子機器があったとしても、私は軽量のそれではなく五百冊そのままを選ぶ。これはひとえに、本という形状が好きなためだと思う。紙の手触り、におい、いつはさんだか忘れた栞代わりのレシート、一冊ずつ違う文字組、黄ばんでいく感じも。本まみれで暮らしている人は、少なからず本というかたちそのものを愛しているんではないかと思う。

と、階下に落ちた住人に親近感を抱いていたら、別のニュースで、その人がためていたのは本ではなくて昔の新聞・雑誌だと知った。なーんだ、ただの捨てられない人なんじゃん、と、自分だってある意味捨てられない人のくせに、軽んじるようにつぶやいた。

─(角田光代・作家)
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2005年01月30日

裏切り

どんな結びつきでもいいからある特定の集団を選んで、裏切りについて話し合わせてみるがいい。するとあるひとつの真理が浮かび上がるはずだ。一度でも裏切られた相手を、人は二度と信用できない、という真理である。背信行為に至った原因を理解してやることはできる。赦すことさえできるかもしれない。だがけっして忘れることはない。完全には。

─(スーザン・アイザックス『弁護士リリー・ホワイト』)
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2004年10月01日

「夢のなかでなら、会うこともできるし、話もできる。いっしょに散歩だってできる。寒い日でも、暑い日でも、雨の日でも」

(マギー・ロブ「グッドナイト・ムーン」より)
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2004年09月30日

欲しいもの

「欲しいものがわからなければ、手に入れることはできない」
―ルーク・ハリソン

(マギー・ロブ「グッドナイト・ムーン」より)


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2004年09月29日

マイケル・ヘンチャードの遺言

「わしの死んだことをエリザベス=ジェイン・ファーフレーに知らせたり、わしのために悲しい思いをさせぬこと。
神聖な墓地にわしを葬らぬこと。
寺男に鐘を鳴らさせぬこと。
だれにもわしの死骸を見せぬこと。
葬式にはだれも参列させぬこと。
墓にはどんな花もそなえぬこと。
だれもわしを思い出さぬこと。以上のことに署名する。

マイケル・ヘンチャード」

(トマス・ハーディ「カスターブリッジの市長」より)
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2004年09月28日

素晴らしいこと

「僕にとってなによりすばらしいこと、それはこの十三年間にとりたてて言うほどのことがないということだ」
―エドガー・ミント

(ブレイディ・ユドール「エドガー・ミント、タイプを打つ。」より)
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2004年09月24日

アートの生きる指針になる言葉

「礼儀正しく、女には近づくな、他人のたわごとを信じるな、野菜を食べろ」
―アート・クロージャー

(ブレイディ・ユドール 『エドガー・ミント、タイプを打つ。』 より)

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THE DEAD

Like the tender fires of stars moments of their life together, that no one knew of or would ever know of, broke upon and illuminated his memory.

・・・

In one letter that he had written to her then he had said: Why is it that words like these seem to me so dull and cold? Is it because there is no word tender enough to be your name?

Like distant music these words that he had written years before were borne towards him from the past.

―(James Joyce 『Dubliners』


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2004年09月12日

物語

「話を忘れない限り、相手は――それを話してくれた人間は、生き続ける」
―エドワード・ブルーム

(ダニエル・ウォレス 『ビッグフィッシュ』 より)

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2004年09月10日

『マイライフ クリントンの回想』

「妻に謝るしかなかった」
―ビル・クリントン

スター報告書には、「セックス」と言う言葉が500回以上も登場する一方で、ホワイトウォーターに触れた部分はたったの2カ所だけだ。
―(朝日新聞社刊 『マイライフ クリントンの回想』 より)

●ビデオ・クリップ 「ビル・クリントンからのメッセージ」56K300K
posted by schazzie at 13:38| 東京 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

本が好きになる

本の面白さは自分が主人公になれること。
―宇野なおみ(女優)
posted by schazzie at 13:22| 東京 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年09月09日

野球

「野球とは、夏の日のゆったりとした時の流れに気づかせてくれる魔法だ」
―E・ピーヴァイン

(Michael Chabon 『SUMMERLAND』 より)

posted by schazzie at 10:19| 東京 🌁| Comment(0) | TrackBack(1) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年09月05日

ロバート・オレン・バトラー

スーパーのレジ前のラックにさしてあるタブロイド紙のなかでも決まって下のほうに置かれている超低俗な新聞の見出しには以前から注目していた。しかし見出しは面白いのに、中身のストーリーはまるでダメ。ユーモアもなければ皮肉もない。だから代わりに、自分がまともなストーリーを仕立てた。

『奇妙な新聞記事』に関するインタビュー
posted by schazzie at 23:49| 東京 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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