2006年05月16日

ニューオリンズという市(まち)

なんといっても、パリはニューオリンズの生みの親だったからね。パリは、いわばニューオリンズに生命をふきこんだんだ。最初に、ニューオリンズに移住したのはパリジャンだった。そんなわけで、ニューオリンズという市は、いつもパリに近づこうと、必死になっているようなところがあるんだ。ニューオリンズというすてきな市は、どうしようもないほど活気に溢れているものの、これまたどうしようもないほど移ろいやすい市だったね。そこには何かしら、どう努めてみても荒けずりな、素朴なところがあった、エキゾチックで洗練された生活を内側からも外側からもおびやかす何かがね。木造の建物が立ちならぶ街並みの一インチ、スペイン風の家屋が集まっているごみごみした界隈の煉瓦の一枚といえども、ニューオリンズを取りかこむ荒々しいアメリカの風土からもってきたものはないといってよい。ハリケーン、洪水、熱病、疫病—そしてルイジアナの風土特有の湿気が、あらゆる木造の建物や石の表面をたゆみなく侵した。ニューオリンズという市は、自然に対抗する人間の空想の産物といった要素をもっていた。粘り強さ、無意識のうちにではあるが、凝りかたまった意志をもってずっと抱きつづけた夢のようなもの、それが、ニューオリンズなんだ。

— アン・ライス 『夜明けのヴァンパイア』 (田村隆一訳)より
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2006年01月22日

『グールド魚類画帖』より

グールド, ウィリアム・ビューロウ
囚人番号873645。別名シド・ハメット、「外科医」、ヨルゲン・ヨルゲンセン、カポア・デス、ポブジョイ、「司令官」。人物の特徴─左胸上に赤い錨と青い翼の入れ墨、彫った文字「Love & Liberty」。1831年2月29日サラ島を逃亡。逃走中に溺死。
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2005年11月28日

ハロウィーン



ハロウィーンとは、「万聖節前夜(オール・ハロウズ・イヴ)」あるいは「万聖節先宵(オール・ハロウズ・イーヴン)」のことで、後者がちぢまってハロウィーンとなった。万聖節は、あらゆる聖人が等しく祝福を受けるキリスト教の祭日であり、暦の上では11月1日。したがって、ハロウィーンは10月31日の晩ということになる。この晩は、ありとあらゆる邪悪なものが徘徊すると考えられており、魔女や小鬼の扮装や、「お菓子をくれなきゃいたずらするぞ(トリック・オア・トリート)」の儀式の起源はここにある。

もっとも、これらは古代ケルト社会のお祭りがキリスト教化されたものらしい。11月1日はケルト民族の新年にあたるが、彼らにとって1日のはじまりは日没であり、10月31日の晩から新年が祝われた。人々は冬にそなえて収穫を終え、神々に感謝を捧げたのである。しかし、こうした神々もキリスト教から見れば悪魔にほかならない。ハロウィーンに登場する魔女や小鬼は、こうして生まれたのだ。

─(レイ・ブラッドベリ 『塵よりよみがえり』 訳者あとがきより)
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2005年11月15日

ローハイド



<RAWHIDE>

南北戦争後の1870年代のアメリカ西部を舞台に、テキサスのサンアントニオからミズーリのセダリアまで3千頭の牛を運ぶロングドライブ(キャトルドライブ)の物語。

南北戦争により、供給源だった北部の牛が大量に消費されたため、東部での食肉価格は異状なほど高騰していた。ところがテキサスでは、テキサス・ロングホーンという牛が500万頭おり、東部では50ドルする牛がここでは3〜4ドルでしかなかった。

そこで牧牛業者は、東部への運送拠点である鉄道のターミナル駅まで牛を運ぶことにした。最寄りの駅といっても、テキサスからは1千キロ以上の道のりである。途中で牛に草を食べさせ、太らせながらの旅だから、3〜4ヶ月かかるのが普通だった。

牛を狙うインディアンや強盗と戦い、日照りや雷雨・砂嵐といった自然とも戦い、仲間同士のトラブルも克服しながら旅を続ける。埃に汚れた衣服にカウボーイたちの生活の匂いと汗がにじみ出ていました。─Nostalgic World より
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2005年11月12日

マイクル・クライトン

1942年、イリノイ州シカゴ生まれ。ハーヴァード大学で人類学を専攻後、ハーヴァード・メディカル・スクールを卒業。在学中からミステリを書きはじめ、1968年に発表した『緊急の場合は』でアメリカ探偵作家クラブ賞最優秀長篇賞を受賞し、69年の『アンドロメダ病原体』が世界的ベストセラーとなる。その後、『ジュラシック・パーク』『ディスクロージャー』など次々と話題作を世に送りだし、その著作のほとんどが映画化されている。また、人気TVドラマ『ER』の製作者としても知られている。
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2005年11月07日

ラルフ・イーザウ

1956年ベルリン生まれ。コンピュータ・プログラミングの仕事のかたわらファンタジー小説を書きはじめ、作品がミヒャエル・エンデの目にとまり、作家デビュー。1997年には『盗まれた記憶の博物館』で、ドイツ児童書界でもっとも権威あるブックステフーダー賞を受賞。
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2005年11月04日

フリオ・リャマサーレス

1955年、スペイン、レオン地方の田舎町ベガミアンに生まれる。マドリッド大法学部卒業後、弁護士となるも、ほどなくジャーナリストに転身。早くから詩人として知られ、『のろい雄牛』『雪の思い出』(ホルヘ・ギリェン賞)などを発表、次第に散文作品に移行する。1985年、初の長編小説『狼たちの月』を刊行、その迫真の筆致で注目された。また、『黄色い雨』はその3年後に発表された長編第二作であり、この作品によって一躍、現代世界文学の一角を担う最重要作家と見なされるに至った。
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2005年10月23日

エルモア・レナード

1925年、ニューオリンズ生まれ。デトロイト大学卒業後、コピーライターを経て作家に。アメリカの裏社会を書かせれば超一流、滑稽な悪党たちを絶妙の筆致で描く、犯罪小説の巨匠。MWA(アメリカ探偵作家クラブ)グランド・マスター賞を受賞。
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2005年10月22日

ベンノー・プルードラ

1925年ドイツ東部のミュッケンブルク生まれ。第二次大戦後ベルリン大学とハレ大学で独文学・芸術学などを学んだあと、教員、ジャーナリストを経て、51年児童文学作家コンクールを契機に児童文学作家となる。現在までに40冊以上の作品で500万冊以上刊行されている。東独児童文学界の第一人者として特別の待遇を受け、西ドイツへの旅行も許され、広くドイツ語圏で活躍。2004年ドイツ児童文学賞特別賞受賞。作品が喚起する想像力と文章の力だけで「理想の価値」を伝えられる希有な作家といわれる。
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ジェイムス・クリュス

1926‐1997。第二次世界大戦の敗戦国ドイツの荒廃した大地を前に、クリュスは若者たちを戦場に駆り立てる不幸を繰り返してはならないと痛感した。そのためには、子どもたちに自分の頭で考えることを教え、寛容と共生の精神を育む必要があると判断し、児童文学の世界に跳び込んだ。1950年ケストナーに才能を見出され『動物会議』のラジオドラマ化に成功。ラジオ、テレビ等で活躍する一方、1956年に処女作『ロブスター岩礁の燈台』を発表、世代を越えて支持を受ける。以後毎年新作を発表し続け、1960年ドイツ児童文学賞、1962年国際アンデルセン優良賞、1964年ドイツ児童文学絵本賞、1968年に『笑いを売った少年』を含むそれ以前の全作品に対して国際アンデルセン大賞が与えられた。現在ドイツではE.ケストナー、M.エンデとともに3大児童文学作家と遇されている。
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